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大阪高等裁判所 昭和56年(ネ)1992号 判決 1983年2月24日

控訴人 吉川繁雄

右訴訟代理人弁護士 山田一夫

同 川西渥子

被控訴人 幸田保

右訴訟代理人弁護士 香山仙太郎

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は「原判決中、控訴人の敗訴部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は主文同旨の判決を求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり附加するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

(控訴人の主張)

(一)  加害車の運転者訴外吉沢義雄は、昭和四九年六月一三日深夜、控訴人に無断で加害車の鍵を持出して同車を勝手に運転していたものであって、使用窃盗ともいうべき自動車の運行をしていたときに本件事故を発生せしめたものであるから、控訴人に自動車損害賠償保障法三条の責任はない。

(二)  仮に控訴人に同法三条の責任があるとしても、被控訴人に対する本件事故による自動車損害賠償責任保険金の最終支払日は昭和五〇年七月二四日であったから、被控訴人は、遅くとも同日までには加害者及び損害を知っていたものであり、同日より三年間右損害賠償請求権を行わなかったので、昭和五三年七月二五日被控訴人の右損害賠償請求権は時効により消滅した。

(三)  被控訴人の後記(二)、(三)の各主張事実は争う。

本件事故による物損につき成立した示談において、控訴人が当事者として支払義務を負ったのは、前記運転者吉沢の責任を保証するという趣旨でその責任を認めたにすぎず、人損である本件損害賠償債務を承認したものではない。

(被控訴人の主張)

(一)  前記(一)、(二)の各主張事実は争う。

(二)  控訴人は、昭和四九年六月、被控訴人の勤務先である訴外興進タクシー株式会社の事故担当係で被控訴人の代理人である訴外山岡恭三に対し、先ず損害額の明らかな被害車の物損についてその賠償支払を具体的に合意したうえ、同時に人損についても、被控訴人に対するその賠償債務が存することを認めて、被控訴人の加療経過をみて治癒するか或いはその症状固定の時期まで待ち、その損害額の把握ができるようになってからその賠償支払の話し合いをする旨を約した。しかも、加害車の運転者吉沢に対する刑事裁判が進行していた昭和五〇年六月頃、吉沢の情状を立証するため被控訴人が証人として証言するにあたり、控訴人は被控訴人に対する人損の損害賠償については前記約束を誠実に履行する旨を重ねて表示した。そして、控訴人はその際に右損害賠償の一部として金五万円を被控訴人に支払った。その後、被控訴人の症状はなかなか固定せず加療も長引いたので、被控訴人は、当時の興進タクシー株式会社の事故担当係で被控訴人の代理人の訴外渡辺兵三郎をして控訴人との損害賠償の交渉に当らせたところ、控訴人は、昭和五二年一一月頃右損害賠償債務の存することは認めたが、具体的な額を提示するには至らなかったものである。また、前記渡辺が昭和五五年五月頃控訴人に対して右損害賠償として金一〇〇万円の内払を請求したところ、控訴人は、右損害賠償責任のあることを認めたうえで、控訴人の勤務する訴外三陽興業株式会社の代表取締役吉川正夫(控訴人の実兄)と相談して返事する旨述べて、右損害賠償債務を承認した。しかるに、控訴人は昭和五五年一〇月末頃その態度を翻えして右損害賠償債務の存することを否定し出したので、被控訴人は同年一一月二五日宇治簡易裁判所に調停申立をしたが、昭和五六年二月一七日右調停は不成立となった結果、被控訴人は同年三月二日本訴を提起したものである。

以上のとおりであって、仮に控訴人主張のように時効期間を経過しているとしても、控訴人は右時効完成の前後を通じて右の損害賠償債務を承認したものであり、前記経過に徴すれば時効を援用することは信義則に違反し許されないものである。

(三)  控訴人は、昭和五二年一一月頃、前記のように被控訴人の代理人渡辺に対して右損害賠償債務についてこれを承認したので、右時効は中断した。

(証拠関係)《省略》

理由

一  当裁判所も、被控訴人の本訴請求は控訴人に対して金四二一万円及び内金三八一万円に対する昭和四九年六月一五日から右支払ずみまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で正当としてこれを認容し、その余の請求は失当としてこれを棄却すべきものと判断するが、その理由は、次のとおり附加するほか、原判決の理由に説示するところと同一であるから、これを引用する。

二  控訴人は、加害車の運転者の吉沢が同車を無断運転したもので、控訴人に自動車損害賠償保障法三条の責任はない旨主張するが、《証拠省略》によれば、控訴人は、本件事故当時、砂利採取業三陽興業株式会社の専務取締役として勤務し、その所有の加害車を主に通勤用に使用していたこと、吉沢は右の当時いわゆる重機類の車両の運転手として同会社に勤務していたこと、右会社には、トラック、いわゆる重機類の車両があっただけであり、普通乗用車は、従業員の通勤車は別として、代表取締役吉川正夫の所有車と控訴人所有の加害車があっただけであるところ、右当時までに控訴人だけでなく従業員も会社の所用に加害車を使ったことがあり、それまで控訴人において従業員に対しその使用を固く禁じてはいなかったこと、昭和四九年六月一三日、控訴人は、それまでにも時々したのと同様、退社時に加害車を会社の事務所横駐車場に駐車させて、その鍵は自ら厳重に保管せずに重機類の車両の鍵の入れ場所になっていた右事務所の鍵のない机の引出しに入れたまま帰宅したこと、ところが、当時右駐車場傍の同会社寮に住んでいた右吉沢が当夜飲酒して控訴人に無断で加害車を運転して本件事故を惹起するにいたったものであること、以上の事実が認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。右認定の事実からすると、吉沢と控訴人とは同じ会社に勤務し、控訴人は吉沢の上司の間柄にあり、控訴人所有にかかる加害車も右会社従業員が使用する例があったのであるから、右に認定したような加害車の管理・使用状況、吉沢と控訴人との職務上の関係から考えると、吉沢が加害車を無断運転したからといって控訴人としては、このような従業員(ことに、右寮居住の従業員)の使用を保有者として一応予測し、その注意と監督とによってこれを防止すべきであり、また、それが容易に可能であったといわなければならないのに、加害車に対する右のような不用意な管理によってその運転を可能にしたものというべきであるから、右加害者の運行は、客観的には控訴人による運転支配可能な範囲に属するものというべく、したがって控訴人は右運行によって起こった事故について保有者として自動車損害賠償保障法三条の責任を免れえないものといわなければならない。よって控訴人の前記主張は採用することができない。

三  次に、本件損害賠償請求権が時効により消滅したか否かについて検討する。

《証拠省略》によれば、被控訴人は、本件事故により自動車損害賠償責任保険金八〇万円を給付されることになり、昭和四九年七月二三日に金一〇万円、同五〇年三月二八日に金五〇万円、同年七月二四日に金二〇万円の各支払を受け、遅くとも昭和五〇年七月二四日までには本件事故による損害及び加害者を知っていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

そうすると、控訴人主張のように、右日時より起算して三年後の昭和五三年七月二五日限りで本件損害賠償債権について消滅時効が完成することとなるわけである。

そこで、被控訴人は、控訴人が消滅時効を援用することは信義則に反して許されない旨主張する。

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

1  本件事故による損害賠償について、被控訴人の勤務先である訴外興進タクシー株式会社の当時の事故担当係の訴外山岡恭三が被控訴人の代理人として控訴人と交渉した結果、控訴人は加害車の所有者として損害賠償責任のあることを認め、昭和四九年七月初め頃、被害車の物損については、控訴人が金二五万円を被控訴人に五回の分割払で支払うことで一切解決ずみとする旨の合意が成立し、控訴人と被控訴人間にその旨の示談書が作成された。その際、人損については、控訴人はその賠償責任があることを認めていたが、被控訴人が入院治療中で合意を成立させるには適当な段階ではなかったので、その治療の経過をみて損害額が判明次第合意を成立させることとし、その趣旨をうたうために前記示談書に「人事に関する件については後日協議する」旨記載された。

2  次いで昭和五〇年六月頃、控訴人は、当時の興進タクシー株式会社の事故担当係で被控訴人の代理人として控訴人と交渉していた訴外渡辺兵三郎に対し、加害車の運転者吉沢に対する刑事裁判において、被控訴人が吉沢の情状証人として出廷し、吉沢の寛大な処罰を望む旨の証言をして欲しい旨依頼し、併せて、本件事故による損害賠償については控訴人がその責任を持つことを確約する旨述べたので、被控訴人は情状証人として吉沢の寛大な処罰を求める旨の証言をした。その頃、控訴人は被控訴人に対して前記損害賠償金の一部として金五万円を支払った。

3  その後、右渡辺は控訴人と二、三回右損害賠償について交渉したところ、控訴人は被控訴人の症状が治癒してから話し合いをしようと返答していたが、昭和五五年四月頃、被控訴人はようやく生活資金にも困るようになったところから、右渡辺が控訴人に対し、被控訴人に右損害賠償金の一部として金一〇〇万円ほど支払ってくれるよう交渉したところ、控訴人は、右損害賠償の責任のあることは認めて、右要望にそうようにするが、金額については控訴人の勤務する三陽興業株式会社の代表取締役吉川正夫(控訴人の実兄)と相談しないと決められない旨述べた。

4  しかるに、控訴人は、昭和五五年一〇月末頃、被控訴人及び右渡辺に対して一転して前記態度を変更し、右損害賠償の責任を否定するにいたった。そこで、被控訴人は同年一一月二五日本件損害賠償について宇治簡易裁判所に調停申立をしたが、同五六年二月一七日右調停は不成立となった。

以上1ないし4のとおり認めることができ(る。)《証拠判断省略》

前記認定事実によると、控訴人は、前記示談書作成時からその主張にかかる消滅時効期間経過後にいたるまで終始一貫して本件損害賠償債務のあることを承認し、その額については後日症状が固定しこれが確定できる段階で話合をする旨表明してきたものであり、さらには、その主張する消滅時効完成日の後である昭和五五年四月頃には被控訴人の代理人渡辺に対し、本件損害賠償額の一切についてではないにしても、少なくとも本件損害賠償債務の存することについてはこれを認める旨の表示をして、これを承認をしたものであるから、右の事情からすると、控訴人は、その主張する消滅時効完成の前後を通じ、ことにその完成後において右のような債務の承認をしたものであり、したがって、これによって、被控訴人としても控訴人においてこの間に完成すべき消滅時効の援用をすることはない趣旨であると受取るのは当然であろうから、その後において控訴人が右損害賠償請求権についてその主張のような消滅時効を援用することは信義則に照らし許されないものと解するのが相当である。そうである以上、控訴人の消滅時効の抗弁は右の点で既に採用しがたいものといわなければならない。

四  よって、以上と同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 唐松憲 裁判官 奥輝雄 野田殷稔)

<以下省略>

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